【日体大/藤本珠輝】僕が、走り続ける理由 #4 ~2度目の箱根路、全員駅伝~

月刊誌、WEBサイトの編集を経てフリーランスとして活動。スポーツを中心に教育関連や企業PRなどの制作・運営に携わっています。屋外の取材が多く、髪の日焼けやパサつきが気になりつつも「髪コト」に参加するようになって、日々のケア方法などを実践するように。最近はヘッドスパにハマる中、みんなの人生を豊かにするよう記事づくりをしていけたらと思います。

【日体大/藤本珠輝】僕が走り続ける理由 #4~2度目の箱根路、全員駅伝~

大きな悔しさと少しのうれしさ。

抱いた複雑な感情を、今もまだうまく表現できなかった。

第97回東京箱根間往復大学駅伝競走=箱根駅伝を走り終えたばかりの2021年1月上旬。

オンライン上で向き合う日本体育大学陸上部駅伝ブロック・藤本珠輝の顔は、どこかすっきりとしたものだった。

結果だけを見れば、日体大は総合14位で目標としていたシード権獲得に及ばず、1区を走った藤本も、区間8位。トップと22秒差でタスキを渡していた。そこに悔しさは広がるが、同時に、卒業していく4年生からの「よくやった」という言葉に、安堵感のようなホッとした気持ちも広がっている。

「箱根駅伝は1年間の集大成。それまでにやってきたことが、どれだけ発揮できるか、しっかりと披露する場」であり、イレギュラーな2020シーズンの締めくくり。そして、1月14日に誕生日を迎え、二十歳になった彼にとって十代最後のレースでもあった。

走り終えてなお、悔しさとうれしさが入り交じる「いろいろな感情」を抱えながら、病に苦しみ、走ることに救われた激動の十代を走り抜けた藤本にとって、まさに“集大成”と言える2度目の箱根駅伝は、微かな期待をにじませて、そっと幕を閉じていた。

今までで一番内容の濃い2020シーズン

練習でランニング中の藤本珠輝

全世界が新型コロナウイルス感染症の大きな影響を受けた2020年。スポーツ界も例外はなかったが、振り返れば藤本は「今までで一番内容の濃い1年だった」と言う。

「前半はひとりで練習をして、夏に入ってチームに合流。たくさん練習をしました。終わりが見えない50日間の合宿も、終わってみると一瞬で、それはみんなが同じように言うんですよね。おもしろい50日だったのかなって」

コロナ禍にあって、いつもとはまったく違うシーズン。「このままでいいのかな」と不安に苛まれる日もあったが、改革に踏み出した日体大は玉城良二新監督のもと、虎視眈々と“復活”に向けての足がかりを作る日々を送ってきた。50日間の合宿は、その一つ。走行距離が1,000キロを超えたという濃い時間と自信がチームの結束となり、チームが掲げる“全員駅伝”の礎を確固たるものにしていた。

それでも、2020年10月の箱根駅伝予選会は6位。11月の全日本大学駅伝でも成績はふるわず箱根駅伝本戦を戦うこととなったが、藤本自身は「ここで焦っても仕方ない。いきなり力がつくわけではないし、いつもどおりを心がけよう」という心境だった。

レースに出れば他大学との差に打ちのめされ、自信を失いかけていたものの、全日本大学駅伝直後の第281回日本体育大学長距離競技会・5,000メートルで、日本選手権A標準を突破する好記録を出し「いい方向に気持ちが整理できた」ことが、精神的な向上のきっかけになった。

加えて、箱根駅伝を走る同学年が、今回は3人になったことも背中を押した。前回はたったひとりだったことを思えば、苦しい合宿も一緒に乗り越えた仲間がいることで心は少し軽くなり「4年生が頑張ってひっぱってきたチームだから、4年生のためにしっかり結果を残そう」という決意が、それぞれの胸に大きく広がった。

迎える第97回箱根駅伝。

自身2度目の夢舞台で、藤本が任されたのはスターターである1区だった。

チームの流れを作るという1区の役割

「日体大」と青く刺繍された藤本珠輝のハチマキ

「12月に1区を走ることが決まりました。僕の場合は集団走よりも個人で走るほうが得意なので、驚きのほうが強かったですね。しかも1区は、チームの流れを決める重要な役割。チームにいい流れを作れるかというところにつながるので、当初は、ネガティブな気持ちのほうが強くて…」

チーム内での藤本は、絶対的エースで4年生の池田耀平と並ぶ2大エース的な立場にある。

その二人が1区と2区を走る。

「往路はシード権内でゴールして、復路の4年生たちにつなぐ」という戦略の中で、「前半で出遅れない」という強い意志と託された願いが表れるような、日体大の配置だった。

その想いを受け取った藤本も覚悟を決める。

「役割を与えられたからには、いつまでもネガティブな考えではいられませんし、しっかりと自分が流れを作ろうと思いました。12月に入ってからの練習は単独走がメインですが、1区は一斉スタートなので集団走になります。だから練習の中で誰かの後ろについたり、他の選手のリズムを利用したりするような、集団で走ることを意識していきました」

チームの流れを作る1区。その責任の重さと重圧を背負う2年生エースの心境は計り知れないが、4年生の言葉が支えになった。

笑顔を見せる取材中の藤本珠輝

「大会前、『俺たちは最後(の大会)だけど、思い切って走ればいい。もしそれで失敗しても4年生のせいにしてくれていいし、責任は全部とってやる』って言われたんです。肩の力を抜くことができる本当に大きな言葉でした」

そう言って藤本は笑顔を見せた。

彼が話したかつての言葉を借りれば、「駅伝はチーム全体で戦っていくから、自分のことばかりじゃダメ。タイムで決着がつくけど、タイムがすべてじゃない。人間性も含めたものが陸上というスポーツ」なのだ。

駅伝は1本のタスキを全員でつなぐ。それぞれがそれぞれの立場と役割で発する「チームのために」という想いこそ、箱根駅伝に73回連続出場記録を持つ伝統校が見せる“全員駅伝”の真髄だった。

2021年1月2日の大手町。

そうして藤本は、自らの手で日体大が紡いでいく“伝統の白襷”を胸にかけた。

超スローペースと言われた1区の舞台裏

箱根駅伝スタート地点、大手町のビル群

大手町から鶴見までの21.3キロを走る1区は、その後のレース展開を大きく左右する区間であり、各校、自慢の選手たちがそろう。その中で、藤本は淡々と準備を進めスタートラインに立った。

緊張の度合いを問うと、例年になく静かな大手町は「集中するのに絶好の場所だった」と教えてくれた。

「前回は本当にどこにでも観客がいて、周囲に圧倒されました。でも、今回は係の人や記者の人だけで、観客がいない。普段のレースと違いがなかったので、集中して臨むことができたんです。2回目の箱根駅伝でしたけど、正直、前回とは“まったく別物”という感じでした」

通常なら多くの人で賑わい、学生ランナーたちを後押しする声援も手旗も今回は消えていたが、そのことがプラスに働いて、順調なスタートを切れたのだ。

選手たちの足音だけが響く大手町を走り出し、まずは誰が飛び出していくのか注目されたが、最初の1キロは3分33秒の類まれな超スローペース。それは、テレビの画面を通しても“ゆっくり”だとわかる速度で、藤本自身も「ちょっと遅すぎるな」と感じたほどだった。

ただ、「スローペースは想定していました」と、藤本は続ける。

「出場メンバーの持ちタイムを見ても同じような数字でしたし、先頭は苦しいので、それを嫌がって誰も引っ張らないのではないかと考えていました。そうしたら、スタートしてすぐにペースが落ちてスローになって…でもいくら遅くても3分10秒前後かなと予想していましたが、普段のアップよりも遅かったので、これで一気に(ペースを)上げられたらどうなるかわかならないという不安も感じたんです」

21人の集団は、時折飛び出す選手やペースアップはあるものの、なかなかバラけずに、横に広がり、縦に重なりながら進んでいく。探り合いや駆け引きが続く展開に「こういう形になったときは前にいないと誰かが仕掛けたときに対応できない」と藤本も集団前方に位置を取りながら、周囲の状況を確認しつつ走っていた。

視線を床に向けながら語る藤本珠輝

前回、5区を走った藤本の視線には、ただただアスファルトだけが映っていたと言うのだから、余裕さえも感じさせる言葉だが、それこそ、チームで培ってきた日々の賜物だった。

「ペースが上がったり下がったりすると足に来るんですけど、日体大はそういう練習もしているので、練習でやっていることだと感じながら走れたんです。それでも、ポイントだと考えていた六郷橋でふるい落としが始まって、上りは対応できたのですが下りで…」

法政大学が抜け出し、東海大学らが、それに続く。

一気に加速した展開に遅れを取りながらも、必死に食らいついていた藤本の耳に声が届いた。

『藤本!ここで負けたら、ここまでやってきた意味がないぞ!!』

声の主は玉城監督。

「普段はそんなに大声を出す監督ではないので驚いたのですが」と言葉を添えて「ちょうど城西大学の選手を追う形で走っていた、あと1キロあたりで聞こえてきて…あの言葉で差を詰めることができたんですよね」と笑みをこぼす。

箱根駅伝の名物とも言える監督の声が、苦しいときの力になった。前を行く城西大学を抜くことこそ叶わなかったが、その差はたった1秒。振り絞ったラストスパートを見せ、トップから22秒差で2区の池田にタスキをつないだ。

1時間3分22秒。区間8位。

「まだまだ力不足」と話しながらも、2度目の箱根駅伝を、藤本はそうして走り切った。

レース後、池田から声をかけられた。

『本当に走りやすいところでタスキを渡してくれた』

トップから15秒差を狙っていた藤本からすれば8位通過に不甲斐なさも感じていた。混戦が続いた1区は、タスキリレーも選手がひしめき、団子状態に近い状況。それでも「なんとか走りやすいところでタスキを渡したかった」という藤本の想いを、池田はしっかりと受け取っていた。

取材陣に笑顔を見せる藤本珠輝

「耀平さんは2区で日本人トップタイムの区間3位。それに貢献できたらうれしいと感じたんです。それからやっぱり4年生がみんな『よくやった』って言ってくれて。自分のタイムには納得していないですけど及第点の走りだと思いましたし、個人的にはまだまだいけるのではないかと感じたところもあります。だから、今回の箱根駅伝には悔しさとうれしさが入り混じっていて、いろいろな感情があるんです」

そう話す口調は、明るい。

「何も良いことがなかった」と語る前回は、区間16位でチームとしてもタスキが途切れた。

絶望に近い状況を乗り越え、藤本の手には、確かな手応えが残っている。日体大としてもまた、同様に。

「前回、区間1桁順位はひとりだけだったんですけど、今年はそれも増えました。森下滉太さん(4年)が日体大内の区間記録を更新したり、前回、目の前でタスキをつなげなかった野上翔大さん(4年)も区間5位。チームとして力の底上げができていたと感じたんです。だから、次につながりますよね。コロナ禍の不安もありますけど、新シーズンがどういう1年になっていくのか。楽しみでもあります」

そう言って、笑顔が広がった。

藤本珠輝のウェアの背面「N.S.S.U.」の文字

そして、もう一つ。2020シーズンの終わりに、藤本の心に芽生えたものがある。

「背中で引っ張るエースになりたい」

ここまで、ともに走ってきた池田をすぐそばで見てきた。「言葉なき絶対的エース」の姿から学んだのは、「言葉にしなくてもチームにやる気にさせるのが本当のエース」だということ。その背中を追うように、彼の中には覚悟と決意が生まれている。

『エースとしての自覚を持て』

十代最後に贈られたその言葉が、今、藤本の胸に刺さっている。

激動の十代、僕が走る理由。

手で「20」の文字を作る藤本珠輝 日本体育大学駅伝合宿所の玄関前

2021年1月14日。藤本は二十歳になった。

10歳で原因不明の全身脱毛症が発症し、人を責め、自分を責めた。両親の支えの中で走ることとの出会いが彼を強くし、17歳で自らの病を公表。以降、ウイッグにハチマキ姿は彼のトレードマークとなり、夢の箱根路を2度、駆け抜けた。

それが、彼が過ごした十代で時には真っ暗で先が見えないこともあれば、光が指したように輝きが広がったこともあっただろう。その彩りは色濃く、藤本珠輝というランナーを作ってきた。

その間も、病はいつも隣り合わせで、毛が抜けて生えてを繰り返すという症状は、今もなお続いている。それでも、「脱毛症でもがんばれることがあることを伝えたい」という根幹は揺るがずに、「真のエース」へと想いを馳せる。

藤本珠輝のハチマチと抱負が書かれた紙 「期待に応えるエースに!!」2021年1月

変わらぬ原動力と芽生えた志。

「駅伝は想いが伝わる競技」だからこそ、藤本自身が、走ることに想いを込める。

脱毛症の人たちへの想い、チームへの想い、支えてくれる両親やすべての人たちへの想いを、そこに乗せて。

彼が走る理由は、いつもそこにある。

日本体育大学陸上部駅伝ブロック藤本珠輝、二十歳。

誰よりも色濃い十代を駆け抜けて、みたび、彼は箱根路に向かう。

真っ白なハチマキを、誰よりも早くなびかせて――。

僕が、走り続ける理由 #1 →記事を読む

僕が、走り続ける理由 #2 →記事を読む

僕が、走り続ける理由 #3 →記事を読む

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